【file2】目先の感情に支配されるあなたへ
私は最近上司に詰められて仕事をしております。毎日毎日罵詈雑言、口を開けば否定否定否定‼︎そんな苦痛な日々を過ごしています。何度も「コイツを○してやろうか‼︎」と思う事がありますし、実際脳内では何度もシュミレートしています。笑
皆さまもそんな経験はあるのではないでしょうか?
しかし、私はふと思う事があります。
「仮にこの上司を○したとして、私はどうなるのだろうか?」
私はそこでいつも踏みとどまって我慢しています。
しかしその感情が止められず、そのまま行動して大ポカをやらかして滅亡した国が歴史上にあります。今回はデリケートな話題ですので、「こういう価値観もあるんだなー」と思って読んでもらえますとうれしいです。
〜大韓帝国(だいかんていこく)の場合〜
19世紀末に朝鮮半島に大韓帝国という国が誕生しました。この国は1910年に日韓併合により滅んでしまいます。
実は朝鮮半島は面白い歴史を歩んでおりまして、「中国がご主人様、その部下に朝鮮」といった主従関係長らく続いておりました。
しかし、日清戦争(1894年)に勝利した日本は、下関条約(1895年)で「朝鮮半島の独立」を認めさせました。
つまり「朝鮮は独立国家である!よって、中国との主従関係はなしだ!」となりました。この経緯から独立国家になったので、今まで中国に遠慮をしていた「皇帝」の位を朝鮮王は名乗ることにしました。そして国号も大韓帝国となりました。
ところが大韓帝国が建国してから7年後、第一次日韓協約(1904年)が締結されました。
この協約の狙いは「日露戦争でロシアとの戦いの最中に、大韓帝国が勝手な行動をしないように制限すること」でした。
日露戦争の戦場は満州(中国北部)になるのですが、日本陸軍はどうしても朝鮮半島を通らねばならなかったのです。もし大韓帝国軍が日本陸軍の邪魔をしたり、経済制裁をしたりされてしまうとロシアと戦うどころではありません。
そこで、第一次日韓協約を結び、大韓帝国の財政と外交の顧問に日本の推薦者をおくことを定めました。これによりロシアと大韓帝国が勝手に手を組めないようにしたのです。
この第一次日韓協約は日本の都合によるものでしたので仕方ないといえば仕方ありません。
しかし、これ以降は大韓帝国はことあるごとに感情で動いて大ポカを連発させます。
〜思い込み&感情で先走ってやらかす〜
【第二次日韓協約(1905年)】
大韓帝国の初代皇帝、高宗(コジョン)はまさか日本がロシアに勝つなんて夢にも思っていませんでした。
「日本に勝手に第一次日韓協約を結ばされてムカつくし、ロシアが勝つに決まっている!」
その場の感情で、ロシアと密通してしまいます。よせばいいのに。。。
しかし、結果は日本の連戦連勝。そして大韓帝国の面目丸潰れ。。。
勝手に外交をしてしまった時点で、「外交の顧問に日本の推薦者をおくこと」つまり、日本に相談なく外交をしてはいけないという第一次日韓協約違反です。
これに怒った日本はペナルティを大韓帝国に課します。
それが第二次日韓協約(1905年)です。これは第一次日韓協約よりもさらに厳しい内容でした。
外交権の剥奪です。
つまり「大韓帝国がいくら諸外国と交渉しても効力がない」ことを意味します。
ちなみに、この第二次日韓協約は、ロシア、アメリカ、イギリスも承認しています。
未だに朝鮮の方々は「違法だ違法だ!」と騒いでいますが、当時の国際情勢上、列強諸国が認めた時点で「合法」になります。
この時点で大人しくしておけば、日韓併合はなかったかもしれません。
ところが何をトチ狂ったのか、皇帝高宗(コジョン)はまた密使をヨーロッパに送りました。
〜とんちんかん&誇大妄想で赤っ恥〜
【第三次日韓協約(1907年)】
高宗(コジョン)が密使を送ったのはヨーロッパのハーグという場所でした。なぜならそのハーグで「第二回ハーグ平和会議」が行われていたからです。
「日本の第二次日韓協約は我々の平和を害する協約だ!だから我々の想いを訴えよう‼︎そして、日本の違法性を世界に知らしめよう!だって、平和会議なんだから!」
高宗(コジョン)はそんな誇大妄想を抱いていました。
ところが、これはただのとんちんかんな行為でしかありませんでした。
そもそもハーグ平和会議とは「列強間の戦争のルールブック作り」の会議だった為です。
そのルールブック作りに、朝鮮の情勢など1ミリも関係ありません。
つまり、高宗(コジョン)はハーグ平和会議が、どのようなものか知らず、ただ「平和会議」というお題目に感情的に飛びついただけなのでした。
さらに、第二次日韓協約はロシア、アメリカ、イギリスが承認しています。仮に第二次日韓協約を違反と認めてしまったら、自分で自分の首を絞める事になります。そんなことを列強がするはずがありません。
そして、そもそも第二次日韓協約で大韓帝国は外交権を奪われていますので、何を交渉しても無効です。
結局、大韓帝国は意味もわからず自分の状況もわからず、ただただ感情に任せて動いて、世界で赤っ恥をかいただけになりました。
当然、日本は怒り心頭です!
そして更に強いペナルティを課すことにしました。それが第三次日韓協約です。これにより、初代皇帝高宗(コジョン)は退位。軍事権、行政権、警察権等の全ての権限を日本に剥奪されました。この段階で、もはや形骸化していたと言っても良いでしょう。
ここで下手な事しなければ、日韓併合は実現しなかったでしょう。
ところがまた大ポカをやらかすお方が現れます。
〜大韓帝国の英雄?安重根(アン・ジュングン)〜
【日韓併合(1910年)】
当時、日本国内でも韓国併合を進める「急進派」と、韓国併合に反対の「穏健派」で揉めておりました。
穏健派の筆頭に、伊藤博文(いとうひろふみ)がおりました。彼がいたからこそ大韓帝国を併合する事なく、国として存続させることが出来ていたのです。
しかし、状況が分かっていないお方がおりました。それが「安重根(アン・ジュングン)」です。彼はハルビン駅におりました伊藤博文に銃弾を浴びせ、暗殺しました。
伊藤博文は、朦朧とする意識の中、部下に尋ねました。
伊藤「今、俺を撃った奴はどの民族か?」
部下「朝鮮人です」
伊藤「そうか、バカな奴だ。。。」
そう言って伊藤博文は息を引き取りました。
私は伊藤博文の言った通りだと思います。
そもそも、韓国併合反対派の伊藤博文を○したら、推進派が勢いづくということが何故分からないのか?そして、伊藤博文を○したとしても「よくも伊藤先生を!!許さんぞ‼︎」と日本に日韓併合の口実を与えるだけになるとどうして理解できないのか?
この安重根(アン・ジュングン)のおかげで、大韓帝国はトドメを刺され韓国併合となってしまいました。おそらく、この方も目先の感情で動き、後先考えずに突っ走ったのです。そして自分の行いが最悪の事態を迎えると分からなかったのが悲劇でしかありません。
皮肉なことにこの安重根(アン・ジュングン)は現在の韓国で英雄扱いをされています。
感じ方は人それぞれですので否定はしませんが、私には疑問しか残りません。
〜事実は小説よりも奇なり〜
韓国併合までの歴史は学校の授業で「日本がいかに韓国にヒドイことをしたか!」ということを強く刷り込まされています。
全く違います。
ただ大韓帝国がよせばいいのに、感情で先走って大ポカの連続を起こし、日本がペナルティを課さざるを得なかったに過ぎません。
たらればの話ですが、高宗(コジョン)がロシアと密通していなければ、ハーグ平和会議に密使をおくらなければ、安重根(アン・ジュングン)が伊藤博文を暗殺しなければ、おそらく日韓併合はあり得なかったでしょう。
〜目先の感情に先走ると失敗する〜
全て感情が先走ったことによる失敗です。今、目先の苦しみから逃れようとしている方、私も含めてですが、すぐ動く前に一度状況を整理して行動してみると上手くいくかもしれません。
私も上司に詰められていつも口か手が出そうになります。
しかしここはグッと堪えて上司以外の人間関係を強化して周りから責めて行こうと私は考えています。そして、今の状況を人事部に面談してもらい手順を踏んで進めていくつもりです。
高宗(コジョン)や安重根(アン・ジュングン)にならないように。