【file6】『100点を取ろう』と頑張るあなたへ
もうすぐ12月になり、今年も終わりに近づいて来ました。例年の今頃は、忘年会の会場を押さえ、会費を設定し、案内文をつくり。。。と面倒な業務に追われるところです。
私は忘年会が嫌いでした。
選んだ店に文句をつけられ、「お前は仕事が出来ない」と延々と説教されたり、行きたくない二次会に付き合わされたり。。。年末に近づく度に憂鬱でした。
最近、思うのですが、学生時代は楽だったなと感じることがあります。
『テストで100点を取れば褒めてもらえたから』です。
しかし、社会人になって上司や他の部署の方々の仕事を与えられて、「相手の求める100点」を目指して取り組むようになります。
ところが、依頼した人によって「求める正解」のさじ加減が分からず、30点しか取れないこともあるでしょう。
また仮に100点を取っても、上司から怖られて逆に冷遇されたり、パワハラまがいの嫌がらせを受けることもあるかもしれません。
「求める正解」が低すぎると怒られ、満点だと怖られる。。。
仕事は『人対人』で行われる為、どうしても切っても切り離せないのです。
では、どうしていけば良いのか?
それは『70点を取り続けること』です。
〜100点を取り続けた男 楊修(ようしゅう)〜
魏(ぎ)の曹操(そうそう)
呉(ご)の孫権(そんけん)
蜀(しょく)の劉備(りゅうび)
彼ら3人がそれぞれの信念の元に国をつくり、凌ぎを削り合っていた時代です。
その魏の国に楊修(ようしゅう)という方がいました。
彼は名門出身で家柄も良く、激務な仕事をてきぱきこなす能力もあったため、曹操(そうそう)から気に入られていました。
ある日のこと、曹操は庭園を訪れます。
その庭園を見て、門に「活」という漢字を書いて帰ってしまいました。
これを見ていた周りの者達は、それがどういう意味なのか分かりませんでした。
そこで楊修に尋ねてみると、
『これは闊(ひろい)という意味だ。
「門」の中に「活」を入れると「闊(ひろい)」という漢字になるだろ?
だから庭園をもっと小さくすることを曹操様は望んでいる!』
と語ります。
しばらくして再び庭園を訪れた曹操は、庭園が小さくなっており、自分の考えを読み解いてくれたのは誰かと尋ねると、周りの者達は
「これは楊修様に教えて頂きました」と答えます。
これを聞いた曹操は、表向き楊修を褒め称えるものの、心の中を見透かされたようで嫌な気持ちになったそうです。
またある時、曹操が後継者を決めようと考えていました。
そして曹操直々に嫡男の曹丕(そうひ)と三男の曹植(そうしょく)を呼び出したのですが、門番には二人が尋ねてきても決して通さないように指示を出していました。
そうとは知らない曹丕が門番に拒まれると仕方なく帰っていきます。
ところが曹植は、拒んだ門番を容赦なく斬り捨てて曹操の元へ参上しました。
不思議に思った曹操が、「門番に断られなかったのか?」と尋ねます。
これに対して曹植は、
「門を通る事を拒否されたので斬り捨てました」と返します。
これを聞いて曹操はびっくりしますが、
「父上から参上の命令を受けたからには、何があっても参上しなければいけないと思ったからです」
しかしこれが曹植と仲が良かった楊修が吹き込んだものだと知ると、曹操はなんとも言えない感情に襲われたようです。
実は楊修は「答教」という一問一答集を曹植のために作っていました。
これには何が書かれていたかというと
『曹操から問われそうなことに対する答え方が前もって記載されていた』のです。
そして曹丕はいつも曹操の問いに答えられない中、曹植は曹操が気に入るような回答を即座にできていました。
さすがにこれには曹操も不信感を抱いて調べた結果、これも楊修の仕業という事が分かります。
後継者問題にまでズケズケと入ってくる楊修に対して曹操は『このままにしておいては、まずい!次に何かを起こしたら殺さないといけない‼︎』と判断したそうです。
この段階で楊修は気をつけるべきでした。
蜀の劉備が、魏の国内である『漢中(かんちゅう)』に侵攻してきました。
漢中は大穀倉地帯で、魏にとって奪われると、かなり痛手になる地域です。日本でいうなら北海道を奪われるくらいのレベルでしょうか。
ところが、魏は連戦連敗。策を施しても、
裏目裏目に出て全く成果が出ません。
ある夜、夕食で鶏肋(けいろく)のスープが出されました。鶏肋とは、「ニワトリのあばら」のことです。
くたびれていた曹操は、その鶏肋スープを見てつぶやいてしまいます。
『まさに今のオレの状況を表しているようだ。。。鶏肋はスープのだしとしてはいい味を出すから捨てるのは惜しい。でも食べようとしても肉がほとんどないから腹は満たされない。
これと同じで、漢中から撤退するのは惜しい。かといって守り通そうとしても、成果が出ない。』
そんな中、部下は今夜の合言葉を伺いに曹操の元を訪れます。
そして、曹操がつぶやいた「鶏肋」が合言葉となってしまいました。
楊修はこの合言葉を聞き、独断で撤退の準備を始めました。
不思議に思った周りの人達が尋ねると
「鶏肋はだしなどを取れるので捨てるには惜しいのだが、食べても腹が満たされない。この鶏肋を漢中の地に例えたのだから、曹操様は退却を決意しているのだと私は察したのだ。」
と語ります。
そう、曹操の真意を見事見抜いたのです。
しかし、それが原因で、曹操の怒りを買ってその場で処刑されています。
理由は、『鶏肋の意味を勝手に解釈をして軍紀を乱したから』となっていますが、おそらくは自分の真意を見抜かれてその頭の良さを恐れたため、そして後継者問題に介入しすぎたためだと思われます。
100点を取り続けることが得意であった楊修は、100点を取り続けることによって殺されました。
人間には「怖れ」や「嫉妬」があるのです。
ちなみに、鶏肋は「捨てるには惜しいが大して役には立たないもの」という意味で現在でも使われます。
〜70点を取り続けた男 賈詡(かく)〜
三国志の時代に、魏に賈詡という方がいました。皮肉にも楊修と同じ時期に活躍しました。
彼はあえて70点を取り続け、曹操からも2代目皇帝の曹丕(そうひ)からも愛され、長寿を全うした人物です。
若い頃、彼は別の主君に仕えていました。
彼の仕事は参謀として主君を正しい方向へ導くことです。
そのため、何度も諫言しますが疎まれるようになり、尋常ならざる知謀を怖れられてしまいます。そこから賈詡は学びました。
『参謀として、その職を真面目に全うしようとすればするほど、主君から疎まれ、妬まれ、怖れられ、かえって自身の命を殆うくしてしまうのだ』
それから曹操の軍門に下ると、また参謀として迎え入れられます。
しかし、彼は曹操から質問されない限り答えませんし、答えるときも細心の注意を払って言葉を選びます。
多くの人は、ここでなんとか自分の地位を確立すべく、積極的に自分を売り込んで手柄を立てようと躍起になるものです。
ところがその気持ちを抑えて賈詡は常にひかえめに努めました。
それを表すエピソードがあります。
曹操は後継者を迷っていました。
嫡男の曹丕(そうひ)か、はたまた三男の曹植(そうしょく)か。
曹操がいつまでも決めかねたため、家臣団もどちらかに分かれて分裂状態となりました。こうした中にあっても、賈詡はどちらに付くでもなく沈黙を守ります。
しかし、それでも賈詡は押し黙ったまま、答えようとしません。
重ねて問われた賈詡は、ついにその重い口を開きます。
賈詡「これは申し訳ございません。ちょっと考え事をしておりました。」
曹操「何を考えていたのだ?」
賈詡「袁紹(えんしょう)と劉表(りゅうひょう)父子のことを考えておりました。」
この2人はどちらも嫡男を廃したことで国を亡ぼした者たちです。
尋ねられても直接答えることを避け、言葉を選んで答えたのでした。
曹操は吹っ切れたように大いに笑い、曹丕を後継者とすることを決意します。
曹丕はこれを聞いて大いに喜び、彼が即位するや、彼の功に報いてただちに賈詡を「太尉」としました。
太尉といえば、当時、位人臣を極めた最高位です。しかしそれでもなお、彼は謙虚さを失いませんでした。
求められたら的確に応えるという一見遠回りのようですが、曹操・曹丕に怖れや嫉妬を抱かせず、信頼を獲得した賈詡の処世術は成功例だといえましょう。
〜70点を取り続けるためには?〜
賈詡は相手から求められたら応えるというスタイルに徹し、控えめでした。
これとは対照的に楊修は、相手の言動から読み取り積極的に売り込んでいきました。
どちらか生き残れるかは言うまでもありません。
つまり、70点を取るということは、『言われたことをそのまま受け取ってこなすこと』です。
そこに自分の考えはいりません。楊修のように、あれこれ先に考えて行動する必要は一切ありません。
『言われたらやる』『言われたことを言われたままにきちんとやる』
これだけで70点なんです。
しかし悲しいかな、日本人の習性で相手の求めていること以上のことをしようとする方が多いです!
また、部下に教育出来ない無能な上司が「自分で考えろ!」などと怒るから、「自分の解釈が大事なんだ」と思い込まされて失敗するなんてこともよくあります!
私がそうでした。
そうならないためにも、言われたことだけを言われたまま、ちゃんとこなしてみて下さい!
それだけで心も軽くなりますし、あなたの会社生活が穏やかになります!