【file1】才能がないと思っているあなたへ
最近ニュースを見ていますと「今の高校生はすごいな!」と思わされることが私は多くあります。 特に衝撃だったのが藤井聡太七段です。自分よりも一回りも二回りも格上の棋士達をバタバタと倒していき、最年少でタイトルを獲得していきました。 世間は彼を「天才」と称しました。
ところがそんな彼は私生活を見るとかなりおっちょこちょいな部分があるようです。彼の家族の話によると学校にカバンごと忘れて帰ろうとしたり、ドブに何回も落ちたり、生徒手帳を何回も無くしたりといろいろ抜けている部分があるようです。
ある一部分では、ずば抜けた才能を発揮する反面、ふつうの人ができること全くできない。そんな歴史上の人物にはたくさんいます。
〜「天才」特有の症状〜
発明王トーマス・エジソン(1847~1931年)も、子供の頃は小学校を退学させられるほど学業成績が悪く、大人になっても、考え事をしていると妻の顔すら忘れて「きみ、誰?」という有様で、果ては物事に熱中しすぎて自分の名前を度忘れすることもあったといいます。
はたまた、万有引力の発見で有名なアイザック・ニュートン(1642~1727年)は、卵と間違えて時計を茹でたり、ズボンを穿くのを忘れて役所に出かけたり、馬がいないことに気づかず手綱だけを引きづったまま歩いたり、「天才となんとかは紙一重」という言葉を思い出すほど、天才は凡人では考えられない愚鈍な側面を見せます。
とにかく天才は、「ふつうの人がふつうにできることが、まったくできない」という症状を発症するのです。 人間というのは完璧な存在ではありません。
先ほど説明しましたエジソンも、暗記が全くできず、小学校退学となりましたがずば抜けた想像力で多くのものを発明しました。あちらが立てばこちらが立たず。多くの人は「天才」のずば抜けた一面だけを見て絶讃しているにすぎません。
〜人間能力値の総数は同じ〜
私の好きなゲームに「信長の野望」があります。大名を選んで敵を倒して天下統一を目指すゲームですが、そこに登場する武将は「知略」「統率」「武力」「政治力」と4つの要素に能力値が振り分けられています。
この考え方をマネて、人間の能力が50種類あるとし、総数が5000点あると仮定しましょう。
人間が生きていくために、全て卒なくこなせるように1種類に対して100点ずつ均等に配分して、万遍なく身につけた人物を「凡人」といいます。 しかしその配分バランスを失敗し、1種類に異様に偏って1000点も2000点も振り分けてしまうことがあります。そうなると、残りの49の才能に振り分ける点数が激減してしまうため、「ふつうの人がふつうにできることが、まったくできない」ということになるわけです。
つまり「天才」と称される人は1種類の偏りがずば抜けているに過ぎず、総数では他の人と同じというわけです。逆になんでも卒なくこなせる人は裏を返すと「他人よりもずば抜けた才能を持っていない」と考えられます。
だからといって嘆くことはないと私は思います。特に他人よりも劣っていない訳ですし、自分の能力値を努力によって相対的に上げていけばより良い人生を過ごすことができます。
一方で、ふつうのことができないからといって嘆くこともありません。それは自分の分からない「どこか」にずば抜けた能力値が眠っている可能性が大いにあるからです。 その「どこか」にある才能を見つけた者のみが「天才」の称号を手にすることが出来、見つけられなかった者は「ダメ人間」「使えない」「変人」と誹りを受けてしまいます。ふつうのことができないので、浮いてしまうのです。
今から2200年前、中国に韓信という男がいました。彼は若い頃、働きもせず毎日プラプラして過ごしていました。お金が尽きたら村長の家に転がり込んでタダ飯を食うというヒモのような生活をしていました。
村長も「韓信の働き口が見つかるまでは面倒を見よう」と思っていましたが、彼は一向に働き口を探そうともしません。呆れた村長は韓信に食事を出さなくなりました。 そのことに逆ギレした韓信は、そのまま村長の家を出て魚を釣って生計を立てようとしました。
ところが彼には魚釣りの才能はありませんでした。来る日も来る日も魚釣りをしますが一向にかかりません。魚が釣れず、何も食べることが出来ない韓信を見かねたおばあさんは、彼に飯を与えてあげることにしました。
「ばあさん、ありがとう!このお礼は必ず返すよ!」
そう言った韓信でしたが
「何を言ってるんだい能無しが!あんた魚の一匹も釣れなくて死にそうだったから恵んであげたんだよ。」
とおばあさんに蔑まれてしまいます。
またある日、彼はが街を歩いていると、町の若者に絡まれてしまいます。
「てめえは背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発されました。
韓信は黙って若者の股をくぐりました。周囲の者は韓信の情けない姿にドッと笑ったそうです。「股くぐりの韓信」とバカにされ、蔑まれるようになりました。
それから彼は軍人として身を立てようと、その当時勢いがあった項籍(こう せき 前232年 - 前202年)という人物に仕えることになります。しかし、彼は軍人としてもパッとせず、用いられることはありませんでした。彼は軍人としての才能もありませんでした。
ところがこの時期に彼の才能を見つける出来事がありました。
旧友である鍾離 眜 (しょうり ばつ? - 紀元前201年)に彼はこんな問いかけをしました。
韓信「なぁなぁ、どうしたら王様になれるんだ?教えてくれよ、鍾離 眜 」
鍾離 眜「そうだな。。。軍人から出世して大将軍になるか軍師になるかなだな!」
韓信「俺は軍人には向いてないらしい。。。いつまで経っても出世しない。だから軍師になろうと思うんだが、どうしたらなれるんだ?」
鍾離 眜「それは兵法書を読み漁るしかないな。孫子、呉子、司馬法etc…いろいろあるし、俺には読んでもさっぱり分からなかった。1ヶ月でリタイアしたよ。」
韓信「俺も読んでみたい!だから借りてきてくれないか?」
鍾離 眜「分かった。」
こうして、韓信は兵法書に目を通すのですが、彼は凄まじい集中力で兵法書を熟読します。これが軍師としての第一歩を歩むことになりました。
その後、項籍の元を離れ劉邦(りゅうほう 前256年-前195年)という人物に仕えました。 そこで彼は軍師として不可欠な存在になりました。彼を有名にしたのは「背水の陣」という策略ですが、話が逸れますので今回は割愛します。 いつしか周りの人が彼を「国士無双」と呼び始めました。国士無双とは「世に2人といない優れた人物」を意味します。 数年前まで、周りの人からバカにされ蔑まれた韓信でしたが「兵法」という才能を彼自身で見つけそれを発揮したからこそ、「天才」の異名を得たのだと私は思います。
〜大切なのは自分を信じることではないか?〜 大切なのは、自分の才を自ら信じることだと私は思います。私自身、自分の可能性や能力に自信が持てないでいます。 しかし「どうせ俺なんか」と思っている者、自分を自分で見限っている者には、ほんとうに「ダメ人間」として一生が終わってしまうことになるのではないだろうか?と思うようになりました。
〜今苦しいならとにかく聞く、そして動く〜
実は「天才」といわれる人たちはみなどんな苦境にあっても、世間から蔑まれても自信に満ちあふれています。「何をやってもダメ」「誰でもできることが自分だけできない」という方は、むしろその分とてつもない才能が隠れていると私は思います。そして自分を信じて人に会い、聞き、そして経験する。 そのうち、自分の中に意外な才能が見つかり、その瞬間から新しい道が拓けていくと私は思います。 バカにされ続けた韓信が国士無双と呼ばれるようになってように。