【file4】「子どものひたむきな姿」に感動するあなたへ
私が仙台に異動になって、もう2ヶ月が経ちました。仙台もコロナの影響で七夕まつりが中止になったり、野外イベントが開催されなくなったりとまだまだ自粛ムードが続きそうです。
私の所属する会社でも「居酒屋での飲酒は禁止」と通達が出てしまったので職場の人達と距離を縮めるのに私は悪戦苦闘しています。。。
ちなみに私の歓迎会もコロナのせいでなしになりました。笑
しかし、コロナの自粛ムードのおかげで、見なくて済んだものもありました。
それは「ボーイスカウトの募金活動」です。
私はこの募金活動がものすごく嫌いです!子どもが、けなげに募金を呼びかける姿が美しいとする風潮も大嫌いです!
その裏には「大人の見栄」が見え隠れするからです。
「私の息子は寒空の中、必死で募金を呼びかけていてステキでしょ?ね?私の息子はいい子でしょ?」
そうやって言われているような気がしてしまいます。
「だったら1日バイトして、そのお金を全て募金に注ぎ込めよ!そんな募金してくれるかしてくれないか分からない人にお金をせびるくらいなら、バイトした方が効率がいいじゃん!」
私はそんな思いを抱きながら、今までボーイスカウトの募金を無視してきました。
ところが、そんな子どもの姿に心を打たれて感動してしまう方々も世の中にはいます。
特にTVの子ども使った報道に感情を動かされて衝動に駆られる方々がなんと多いこと!
歴史を振り返っても「子どもを使った報道」は『大人の汚い思惑』がありありと滲み出ています。
〜ナイラの証言〜
1990年8月に湾岸戦争(わんがんせんそう)が勃発します。中東の国イラクは、隣国のクウェートに侵攻しました。
アメリカはクウェートがイラクに占領されることが危機でしかありませんでした。
なぜなら、クウェートにはアメリカが保有している油田があったため、国益の一部を失うことになる可能性があったためです。
とアメリカ政府は参戦を呼びかけます。しかし当時のアメリカ国民の多くは、理性的にとらえ、「8割」もの人が戦争を回避しようと考えました。
あの少女の涙までは。。。
その少女の名はナイラと言いました。奇跡的にクウェートから生還した彼女は、涙ながらに訴えました。
「病院に乱入してきたイラク兵士たちは、生まれたばかりの赤ちゃんをいれた保育器が並ぶ部屋を見つけると、赤ちゃんを一人ずつ取り出し床に投げ捨てました。冷たい床の上で赤ちゃんは息を引き取っていったのです。本当に怖かった……」
その証言に、全米が涙しました。
そしてなんと、当初は多くが戦争反対であったはずのアメリカ国民の8割が、その後、戦争に賛成したのです。
「あの少女の涙に嘘はない‼︎クウェートで苦しい思いをした少女の為にも、我々は『正義』の為に戦うのだ!」
これで一件落着!となるはずでした。。。
しかし、ここから衝撃の事実が発覚します。
あの証言をしたナイラは、在米クウェート大使館の娘で、アメリカ国内で贅沢な暮らしをしていたのです。そして、クウェートには住んでいないどころか、クウェートにすら1回も行ったことがなかったことが分かりました。
世論がガラッと変わったあの証言は全て嘘だったのでした。そのせいで、3万人のイラク人が命を奪われるという結果になりました。
「子どもの証言は嘘をつかない」という、人々の根強い思い込みを利用したプロパガンダの成功例と現在では言われています。
ではなぜ、そこまでしてアメリカは参戦したかったのか?
それは『戦争は儲かるから』です。
〜ビスマルクの懸念〜
19世紀のヨーロッパ世界に、ビスマルク (1815-1898) という天才が表れました。彼はプロイセン王国の宰相として、巧みな外交術と軍事政策によってオーストリア、デンマーク、フランスを撃破していきます。そして不可能だと思われていたドイツ統一を成し遂げます。
そんな彼が推し進めた政策が「鉄血政策」です。ここでいう「鉄」とは大砲や銃・銃弾、軍艦などの武器を意味し、「血」とは兵士の流す血を意味しています。
つまり、ビスマルクはプロイセンの軍事大国化のためには議会や言論は無視することを宣言したということです。
続けて彼はこんな言葉も残しています。
「国民なんぞに選挙権を持たせてはダメだ‼︎奴らは目先の感情で動く!政治というものは10年、20年先を見通して進めるものだ!」
このビスマルクの言葉は民主主義の弱点を上手く表しています。平和なご時世には民主主義は効力を発揮しますが、乱世や不況、荒廃した時代には全く機能しなくなります。それどころか、乱世から来る不安や焦燥感により、国民が正しい判断が出来なくなり破滅の選択をしてしまうことも多々あります。
それが如実に表れた例が「ナイラの証言」と言わざるを得ません。
〜グレタ・トゥーンベリ氏について〜
17歳の少女である環境活動家のグレタ・トゥーンベリ氏が気候変動の危機について訴えて、CO2削減を求める運動が話題になりました。もともと、彼女はほんの1年ちょっと前まではたった一人で手書きのプラカードを持って座り込みをする、スウェーデンのいち中高生に過ぎなかった存在でした。
そんな彼女をマスコミは大々的に報道しました。そして、熱心に活動する姿や訴えに多くの人が心を動かされるようになります。
そして今や国連で演説をし、ノーベル平和賞候補と報じられたり、世界的な運動を触発する 「活動家のグレタ」になりました。
私はなにか「きな臭さ」を感じざるを得ません。彼女はCO2による気候変動に警笛を鳴らしていますが、「CO2=悪」という構図を全面的に押し出しすぎているように感じます。
まるでCO2を悪にすることで
『他のエコビジネスが儲かるように仕向けている』ような。。。
私は不自然さを拭いされません。
〜子どもの裏には「悪魔」がいる〜
だからといって、「子ども=悪」というわけではありません。ボーイスカウトの子どももナイラ氏にしてもグレタ氏にしても、本人に罪はないと私は思います。
問題なのは、「裏でシナリオを書いている大人」です。
ナイラ氏は分かりませんが、少なくともグレタ氏に関しては真面目に気候変動の危機に取り組んでいただけだと思います。ボーイスカウトにしても純粋に募金活動をしていただけなのかもしれません。
その子どもの姿を利用してプロパガンダに繋げていこうとする「悪魔」がいることを忘れてはいけませんし、騙されてはいけません。
このブログから子どもを使用した報道は裏があると思って構えてくだされば私としては嬉しい限りです。
湾岸戦争のような悲劇を日本で生まないように。