【file10】(Part2)イエス=キリストを知りたいあなたへ
前回はイエスの少年期までを書きました。
今回はイエスが布教活動を始める前までを書きます!かっこいいシーンが満載で目が離せませんよ!笑
①洗礼を授ける者、ヨハネ
ヨルダン川で多くの人々に洗礼を授けている男がいました。彼の名はヨハネといいました。
この当時洗礼とは
『外国人がユダヤ教に改宗するのに行う儀式』
という認識が一般的でした。
しかしヨハネは外国人ではなくユダヤ人達に向かって洗礼を授けていました。
『自分をユダヤ人だと思って安心するな!ユダヤ人だからといって無条件に救われるのではない‼︎悔い改めて心を新たにせよ!』
つまり、ユダヤ人こそ心を新たにして、洗礼を受けることが必要だと、ヨハネは訴えているのです。
ちなみに彼が行う洗礼は、水で体を洗い清めるものでした。外面を洗うことで内面のけがれを解放して、新たな信仰が始まることを表明するという意味合いを持っていました。
そんな彼の教えはユダヤ人の目に新鮮に映りました。
当時のユダヤ教は形式にとらわれて形骸化していました。
それに対し、ヨハネの教えは道理にかない、現実的で、心がけ次第ですぐに実践できるものばかりでした。
また、ヨハネ自身は花の蜜やイナゴといった質素な食べ物を食べ、洗礼の献金を受け取ろうとしませんでした。
そして彼の日頃の言動が、いつしか言葉に説得力を生み出し、大衆のみならず政治家や徴税人まで耳を傾けるようになりました。
やがて誰からともなく
『ヨハネこそユダヤの民が長い間待ち望んで いたメシアではないのか?』
と、口にし始めます。
しかしヨハネは
『自分は先導者にすぎない。後から来る優れた方が精霊と火で洗礼を授ける』
と、自分がメシアであることを否定しました。
②イエスの洗礼
20代後半になったイエスは、ヨハネの洗礼を受けようと、ナザレからヨルダン川へ向かいます。洗礼を受ける人の列に並んだイエスの姿を一目見てヨハネは驚きます。
続けて
『私こそ、あなたから洗礼を受けるべきです』
と謙虚な態度を示します。
そして、イエスに洗礼を授けることを辞退しようとまでしました。
これをイエスは
『私があなたから洗礼を受けることは、神の御心にそう正しい道なのです。』
と、促しました。
こうしてイエスが洗礼を授けられ、水の中から上がって来た時、不思議な出来事が起こります。
イエスに向かって天が裂け、その雲の合間から白い鳩のようにして現れた精霊がイエスの中にすっと入り込んだのです。
この時イエスは
『私の愛する子、私の心にかなうもの』
という内なる神の声を聞いたそうです。
そして彼は精霊に導かれるように、ユダの荒野へと向かいます。
そう、試練に立ち向かうために!
③ユダの荒野
洗礼を受けたイエスはユダの荒野へと赴き四十日間の断食に入ります。
乾ききって何も見えない砂漠で、神のみと向き合う日々を送ります。迫り来る飢餓の苦痛、恐怖や絶望、そして荒野の向こう側に見える恐ろしい幻想までも受け入れるようになります。
このようにしてイエスは、強靭な精神を研ぎ澄ませていったのです。
四十日目のことです。最後の試練がイエスに降りかかります。
闇の力を象徴するサタンが現れ、イエスから欲望を引き出し、神の力を砕こうとしたのです!
そこでサタンは衰えきったイエスに、三度誘惑します。
『この石をパンになるよう変えたらどうだ? お前は神の子ならば、石をパンに変えることなどたやすいだろう。
それで空腹を満たしたらどうだ?』
一つ目の誘惑です。
イエスは言います!
『人は、パンだけで生きるものではない!
神の口から出るひとつひとつの言葉で生きるのだ‼︎』
彼は人は物質的なものだけでは生きられない、神の言葉こそが大切なのだ、と誘惑を退けます。
しかし、サタンは粘ります。
『ここから飛び降りたらどうだ?
神がお前を助けてくれるだろう。』
二つ目の誘惑です。
イエスは言います!
『神である主を試してはならない‼︎』
神が奇跡を起こすかどうかを試そうとすること自体が間違いなのだ、と二つ目の誘惑も退けます。
それでもサタンは諦めませんでした。
イエスを一番高いところに引き上げます。そして、安楽と幸福で彩られた地上の幻を見せて言います。
『地上の全てをお前に与えよう!
ただし!
ひれ伏して私を拝むならな!』
三度目の誘惑です。
イエスは答えます!
『現世の支配は救いにならない‼︎
退け、サタンよ!
神である主を拝み、ただ主に仕えよ!』
こうして、イエスはサタンを撃退したのでした。
この三つの誘惑は人間なら誰でも遭遇する可能性のある大きなものです。
一つ目の誘惑は、生命と物質的な財産が絶対のものだと信じて、それらを手に入れようとするものです。
二つ目の誘惑は、安全が保障されていると思い込んで、危険なことを試みようとするものです。
三つ目の誘惑は、どんな大きな代償を払っても全てを征服する力を得ようとするものです。
イエスはこれらを乗り切り、これから神の道へと進んでいきます。
また、次回に譲ります!お楽しみに!