【file12】(part4)イエス=キリストを知りたいあなたへ
さて、前回は神の奇跡を起こし続けたイエスでしたが、その奇跡を疑い、目障りと感じる勢力が現れます。そしてイエスを迫害しようとする動きが日に日に強まっていきます。
イエスはそれらを全て受け入れようとします。その受難をこれから書いていきます。
①.神の子を認めるペトロ
人々を癒し、罪の許しを説いて人々から慕われたイエスでしたが、その先鋭的な考えや奇跡は従来のユダヤ教を厳格に守ろうとする律法学者たちにとって目障りでしかありませんでした。
旅を続けるイエスと弟子たちは、ヨルダン川の水源近くにある町に向かっていました。
その途中でイエスは弟子たちに尋ねます。
『人々は私のことを何者だと言っているか?』
弟子であるペトロが最初に口を開き
『あなたはメシア、生ける神の子です!』
と告げました。
イエスはペトロを褒めていいます。
『私はこの岩の上に私の教会を建てる。そして私はあなたに天の国の鍵を授けます。』
実はこのイエスの言葉は、カトリックとプロテスタントでは解釈の仕方が全く違っています。
カトリックの解釈では、イエスは十二使徒の中でもペトロを選び、特別な権能を与えたと解釈しています。分かりやすくいえばペトロが教会の初代教皇に任命されたということを示しています。
一方でプロテスタントの解釈では、イエスは決してペトロを教皇に任じたり特別な権能を与えたのではなく、ペトロが行った信仰告白の上に教会を建てるということを示しています。つまりペトロのように「イエスはメシアである」と告白する人々の上に教会を建て、天国の鍵を授けるといわれたという解釈になります。
しかしイエスは弟子たちに、自分がメシアであることを口外しないように命じた上で、自分の行く手に待っている苦難の道について語り始めます。
自分がエルサレムに行き、そこで迫害され、十字架にかけられることを。。。
そして三日後に復活することも。。。
弟子たちは耳を疑います。ペトロは驚愕のあまり
『先生がそんな目に遭うなんて有り得ないことです!!』
と叫びます。
ところがイエスは先ほどペトロを褒めた時とは打って変わって、厳しい言葉を浴びせます!
『サタン!!引き下がれ!!あなたは私の邪魔をする者!!そしてあなたは神のことを思わないで人のことを思っている!』
これはペトロがイエスの教えを理解していなかったためとされています。
ペトロや多くの民衆が考えているメシアとは
『ローマ帝国からの抑圧から解放するために神から遣わされた王』
という認識でいました。
しかしイエスにとってのメシアは
『ユダヤの地に栄華をもたらすものではなく、全人類の罪を赦し救う存在』
という意味合いでした。
つまりペトロの発した言葉は 人間的な思いでイエスが迫害され十字架にかけられることを否定しただけでなく、全人類の罪を赦し救うというイエスの目的を変えようしたため、叱りを受けることになったのです。
②.イエスの変容
自分の死と復活を予告したイエスは6日後、弟子のペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて高い山へと登ります。この山の頂上に着いた時、イエスの姿が変わります。顔が太陽のように輝き、衣服は光のように白くなって行きました。
そこにふと、2人の人物が現れイエスと語り出しました。
モーセとは、イスラエルの民を率いてエジプトを脱し、神より十の戒めを授かったことで知られている人物です。
エリヤとは、預言者でユダヤ教を守るために異教の祭司などと戦い、最後は火の戦車に乗せられて天へ召されたという人物です。
いずれも神に選ばれ、直接語り合うことを赦された人物です。
イエス、モーセ、エリヤの三者はイエスの最期のとき、すなわち受難について語り合っていたのでした。
イエスが神の子であるというもはや揺るぎない真実を目の当たりにしたペトロは思わず叫びます!
『3人のために小屋を建てます!』
ところが白い雲が現れて弟子たちを覆います。そしてその雲の中から
『これは私の愛する子。これに聞け。』
という声が聞こえました。
そしてペトロが気づいた時にはイエスがいるのみだったのでした。
イエスは、まだ呆然としている弟子たちに
『自分が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない』
と命じます。
弟子たちは命じられた約束を守ると約束しましたが、イエスの言葉の意味について論じ合っていたのでした。
③.エルサレム入場
イエスの名は今やユダヤ中に広まり、彼こそユダヤを救うメシアであると人々は噂するようになっていました。そのイエス一行がエルサレムに向かっているという噂は、ユダヤ全土に広まっていました。人々は彼を一目見ようとエルサレムへ続々と集まっていました。
過越祭を控えてにぎわうエルサレムに入ったイエスは、神殿に横行している商人たちを目にして憤りを感じます。
本来、神殿では生贄を捧げて礼拝をしなければなりませんでしたが、遠方からの参拝客は生贄を持ってくることは非常に困難でした。そこで神殿には、牛、羊、鳩などの生贄を売る店が軒を連ねていました。
またローマ皇帝の顔が描かれた硬貨を、ユダヤの硬貨と交換する両替商も設けられていました。
そう、神聖であるはずのエルサレム神殿では、礼拝が形骸化され、金儲けの場所と成り下がってしまったのです!
「神の家」であるエルサレム神殿が穢されたと感じたイエスの怒りは凄まじいものでした。
なんと、生贄を売る商人たちを追い出して、両替人たちの金を蹴散らし、台をひっくり返してしまったのです!!
そして商人たちに
『私の家(神殿)は祈りの家と呼ばれるべきである!ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった!!』
と厳しく叱責したのでした。
人々は病気の鳩を売り付けたり、貨幣交換で暴利をむさぼっている商人たちを快く思っていませんでしたので、イエスの行いに拍手喝采したのでした。
④.ナルドの香油
過越祭が近づくにつれて、イエスの周囲は慌ただしさを増して行きました。
祭司長や律法学者は祭が終わり次第、イエスを捕える計画を練っていましたし、イエスの弟子の中に師を裏切ろうとする者がいたからです。
イエスはある家に滞在していた時のことです。ひとりの女性が唐突に壺を叩き割り、ナルドの香油をイエスの頭に注ぎかけました。
当時、油は宗教儀式には欠かせないものでした。食料や灯り、薬にもなる油には特別な力が宿っていると考えられ、命、清浄のシンボルとしても捉えられていたのです。
そのため、油注ぎは神から特別な力を与えられているとうけ止められており、特別な客人をもてなすには最高の敬意でもあったのでした。
その香油が非常に高価なものであると知っていた弟子たちは、香油を無駄遣いしていると憤慨します。
十二使徒のひとりであるユダは、
『香油を売れば、貧しい人々に施すことが出来ただろうに。。。』
とまでいいます。
しかし実際は、彼は貧しい人々のことなど考えていませんでした。彼は、盗人だったので金銭のことしか頭になかったのです。
このユダはイエスの思想と大きくかけ離れており、実はユダの発言は裏切りを感じさせるものだといわれています。
ところがイエスは
『彼女は出来る限りのことをしてくれた。私の体に香油を注ぎ、葬りの日のために準備をしてくれたのだ』
と女性を褒め称えます。
これは、香油を塗ることで魂の清らかさが保たれるという考えがあった当時、女性の行いは静かにイエスの死を受け入れ、その時のために備えていたといえるでしょう。
その一方で、弟子たちはまだ、イエスの運命を受け入れられずに悩んでいたのでした。
次作が最終回です!!いよいよクライマックスです!!