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【file14】支離滅裂、矛盾だらけの聖書を信じるキリスト教徒

 前回はイエス=キリストの誕生から復活までの物語を書いていきました。皆さまは何を感じましたでしょうか?素晴らしい物語と感じましたでしょうか?

 

もし感動されている方がいらっしゃったのなら申し訳ないのですが、実は前回説明出来ていないことがございました。。。

 

それは

 

聖書の内容が支離滅裂、矛盾だらけということなのです!!

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そのトンチンカンな聖書のおかげで様々な考え方が生まれ、解釈が生まれ、そして対立し分裂していきます。

 

今回は、イエス=キリストが亡くなってから、それ以降のキリスト教徒の動きを書いていこうと思います。

 

 

 

 今から約2000年前にキリスト教が誕生しました。そしてイエス様のありがたい教えをまとめたものが聖書になります。

 

ところが、その聖書はめくるページめくるページ矛盾だらけでした。

 

 

例えば

離婚についてイエス様は以下のように申しました。

 

 

『妻と離婚して他の女と結婚する者は姦淫の罪を犯す事になる(マタイ伝19-09)』

『もし妻が自分の夫と離婚して他の男と結婚する者は姦淫の罪を犯す事になる(マルコ伝10-19)』

『姦淫したる者あらば、姦淫した男も女もともに必ず死刑に処されなければならない(レビ記20-10)』

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簡単に現代語訳いたしますと、

離婚して再婚する人は夫であっても妻であってもともに『姦淫の罪』を負うことになりますよ!そして姦淫の罪を負った人は必ず死刑になりますからね!例外は認めません!!

 

このような内容になります。

 

 

しかし、その舌の根も乾かないうちにイエス様は次のような言葉も残しています。

 

 

『すべての人、この言葉を受け入るるにはあらず、これを受け入れうる者のみ受け入れるべし(マタイ伝19-11/12)』

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これも簡単に現代語訳いたしますと、

離婚して再婚したら死刑というけれども、すべての人がこの言葉を実行出来る訳じゃないよね!もし、離婚したい再婚したい気持ちが抑えられないなら構いませんよ!!私の言葉を実行出来る人が実行すればいいですからね!!

 

とおっしゃっています。

 

 

え〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?

 

 

本当に同じ人が言った言葉なのでしょうか!?

 

実は、聖書は右が正しい!と記載があるかと思えば、必ずどこかに左が正しい!という箇所があります。だからどうとでも解釈が成り立ってしまうのです。

 

 

 

このように前後関係が無茶苦茶で、解読するのが難しいと当時の人々は感じました。

 

それは

 

人間は『理性』で物事を考えるからです。

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数百億の生物がいると言われている中で、唯一理性で物事を考える生き物が人間と言われています。そして、その理性のおかげで高度な文明を築き生活を豊かにしてきました。

 

 

だからこそ、人間から理性は切っても切り離せない存在なのです。

もし、人間から理性を取り除いてしまったらおさるさんになってしまいます。

 

その、理性という観点から聖書を見たとき、聖書というのは支離滅裂で無茶苦茶な経典となります。

 

しかし、これは私はいっている訳ではありません。キリスト教徒自身が聖書は支離滅裂と認めているのです。

 

キリスト教徒が聖書を読んだ時

 

『これ、おかしいよね?なんで前のページではAって書かれているのに、次のページではBとなっているの?矛盾してるよね?』

 

『なんで、イエス様はCを禁止しているのに、今のキリスト教徒は平気でCを行っているの?変だよね?』

 

といったツッコミがたくさん出てきます。しかしキリスト教徒はこのようなツッコミに対して以下のように答えます。

 

 

『それは我々にも分からん!!』

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は?と思った方もいらっしゃったのではないでしょうか。

 

キリスト教徒の考え方はこうです。

 

『いいか!そもそもお前ら(非キリスト教徒)のツッコミや矛盾など人間の理性に基づいたものだろ?

 

「たかが人間ごときの理性」で考えたところで、この偉大なる全智全能の神様が、我々のような哀れな子羊を導くために残して下された唯一の書物を解釈しようとするだと!?

 

おこがましいわ!!

 

我々不完全な人間が考えたところで矛盾点をつくだと!?

 

そんなバカなことを考えるな。

 

これ(聖書)は『完全に正しい』

 

それだけだ。』

 

このように、聖書というものを疑うということしません。しかし非キリスト教徒からすれば釈然とした答えではありません。そこで、ならば我々が考える矛盾点や支離滅裂と感じるものに対する答えはあるのか?と尋ねますと

 

『ある!!』

 

キリスト教徒は答えます。

 

ならば、その答えを説明してくださいと投げかけますと

 

『だ〜か〜ら!!我々も分からないと言っているじゃないか!だってオレたち(キリスト教徒)だって人間だもん!!

 

 その答えを知っているのは全智全能の神のみだ!だから、その答えは知らないけれども、聖書に書かれている全ての言葉は完璧に正しいということを我々は信じている!

 

 

信じるものは救われる!

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そもそも、おかしい、矛盾している、支離滅裂と気づくという時点で神から程遠い存在。。。

かわいそうな人。。。』

 

このようにアンサーが返ってきます。

 

つまり、間接的に支離滅裂で矛盾だらけと認めていることになってしまいました。

 

これは極論をいうと、理性を放棄して宗教といっても過言ではないのかもしれません。。。

 

これが、今日のキリスト教です。