【file11】(Part3)イエス=キリストを知りたいあなたへ
さて、これからイエスは本格的な宣教活動に入っていきます!神の奇跡の連続です!物理法則も無視しています!笑
①最初の弟子
サタンを退けたイエスは、ガリラヤ湖畔にある『カファルナウム』という場所をを拠点に、宣教活動をはじめます。
その漁師とは、『ペテロ・アンデレ兄弟』と、『ヤコブ・ヨハネ兄弟』です。
彼らは魚がほとんど取れず、意気消沈して漁から戻ってきたところでした。
イエスは彼らに話しかけ、もう一度漁に出て網を投げるよういいました。無駄だと思いながらも、兄弟たちはいわれた通りにしました。
すると、驚いたことにたくさんの魚が網にかかったのです!
そしてイエスは彼らにいいます。
『私についてきなさい。私があなた方を人をとる漁師にしてあげます。』と。
これを聞いたペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人はひれ伏して、イエスの弟子になったのでした。彼らが最初の弟子となります。
なぜ、イエスが漁師たちを選び、中核の弟子にしたのかについては、
『より救いを求める地位の低い者を選んだため』
と言われています。
それからイエスはひとり、またひとりと弟子にして行きます。
②嫌われ者のマタイ
イエスが収税所の前を通りかかったとき、マタイという男と出会います。
そのマタイは徴税人として生計を立てていました。
イエスの時代、徴税人は欲深い者がなる仕事とみなされ、人々から嫌われていました。
それもそのはずです。
実は、税金の取り分は、一定の額さえ納めれば、あとは自分のものになるシステムでした。
そのため、人々を脅迫して、余計に納めさせるガラの悪い徴税人がほとんどでした。
また、取り立てた税金はユダヤの敵であるローマ帝国に納められるので、徴税人は裏切り者とされていました。
そんなマタイを、イエスは自分の弟子になるように声をかけます。
自分をひとりの人間として見てくれたことがよほど嬉しかったのか、マタイはイエスのために宴会を催します。
宴会にはイエスと弟子たちを招待し、徴税人の仲間や娼婦も多数招待しました。
これを見たユダヤ教の指導者は
『なぜ、あなたたちは徴税人や罪人と一緒に食事をするのか?』
とイエスに質問します。
これに対してイエスは
『医者が必要なのは、健康な人ではなく病人で ある!
私が自分を正しいと思っている人たちのためではなく、罪人を悔い改めさせ、神に立ち返させることである!』
と返答します。
こうして、マタイは弟子の1人となりました。
イエスは職業や身分に関係なく弟子たちを増やしていったのです。
そして集められた12人の弟子は、使徒と呼ばれ、イエスに従うようになります。のちに彼らはイエスの死後、布教活動を熱心に行うようになります。
③カナの婚礼(奇跡その1)
ある日のこと、イエスは母マリアや弟子たちと共に、カナという町で開かれた婚礼に参列します。
しかしここで、アクシデントが起こります。
用意していたぶどう酒が、食事が終わる前に飲み尽くされてしまったのです。残った飲み物といえば水だけです。
マリアはそのことをイエスに知らせます。
イエスは手伝いの者たちに、6つの大きな水瓶を
水で満たして宴会の世話役のもとに運ぶよう指示します。
すると、驚いたことに、水瓶が運ばれてきたときには、中身が水からぶどう酒へと変貌していました!
それを味見した世話役は
『よくこんな上質なぶどう酒を、宴会の途中までとっておいたものだ‼︎』
と、驚きの声をあげます。
つまり、イエスは、水を上質なぶどう酒へと変えてしまったのです!
このカナの婚礼の奇跡は、時にキリスト教のあり方を示したものと言われています。
水がぶどう酒に成り代わっていったのは、イエスが形骸化したユダヤ教(水)を、生き生きとした神の国(ぶどう酒)に変えるという暗示であるとされています。
つまり、イエスが貧しさを豊かさへ変える救いであることを示したものといえます。
④自然を操る(奇跡その2)
イエスが弟子たちと舟に乗ってガリラヤ湖を渡っていた時のことです。
舟が暴風に襲われて、波間に飲み込まれそうになりました。
弟子たちは慌てふためくばかり。。。しかし、イエスを見れば嵐を気にすることもなく、悠然と静かに熟睡していました。
弟子たちはイエスを起こし、懇願します。
『主よ!助けてください‼︎溺れそうです‼︎』
イエスは起きあがって嵐を叱ると、それまでの嵐が嘘のように収まって、穏やかな風が吹くだけとなりました。
弟子たちが目を疑うほど驚いたのはいうまでもありません。
その後、イエスは彼らのあたふたした対応に
『何を畏れていたのだ!信仰の薄い者たちよ‼︎』
と、叱責します。
間近でイエスの教えを学んでいるにも関わらず、弟子たちが成長していないことに対する、歯がゆい思いがイエスの叱責に表れています。
⑤パンの奇跡(奇跡その3)
数々の軌跡や斬新な教えでイエスは名声が高まりました。そのため、彼のいるところには常に人が集まるようになりました。
ある町でイエスは病人を癒していましたが、ふと気づけば夕暮れ時になっていました。
そこでもたちまち群衆が詰めかけ、あふれんばかりになります。
イエスは集まった人々に夕食のパンを配りたいと思います。
しかし今、手元にあるのはパン5つと魚2匹しかありませんでした。
そこでイエスは5つのパンと2匹の魚を手にして、天を仰いで祈りを唱えます。
そして、パンを割いて弟子たちに渡します。
すると、パンを配り始めた弟子たちは驚きます‼︎
なんと!配っても配ってもパンが尽きることがないのです‼︎
群集は男性だけで5,000人いたというので、ひとりから10人、10人から50人とパンが行き渡る様子は、命の分かち合いを象徴するかのようでした。
イエスが惜しみなく注ぐ深い愛情が、5つのパンで群集の空腹を満たすという奇跡を起こしたのです!
⑥癒しの奇跡(奇跡その4)
ある日、担架に寝かされた中風患者がイエスのところに運ばれてきます。
中風とは今でいう脳卒中の後遺症のようなものです。主に半身不随、片麻痺、言語障害、手足の痺れや麻痺などを指します。
イエスはその患者に
『子よ!元気を出しなさい!あなたの罪は赦されます!』
唱えます。
ところが、その場に居合わせた律法学者は激怒します!
『イエスは神を冒涜している!罪を赦すことが出来るのは神だけである‼︎軽々しく罪を赦すなどもってのほかだ!』と。
これに対してイエスは
『人の子である私が、地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう!』
と宣言します。続けて患者に向かって伝えます。
『起きなさい!そして歩いて家に帰りなさい!』
すると、今まで立つことすら出来なかった患者は立ち上がり、歩いて帰っていきました。
これを見た人々は大いに驚き、
『こんなことは、今まで見たことがない‼︎』
といってイエスを賛美しました。
イエスが病人を癒すという奇跡の力を授けられたことは、神が持つ力を得たことになります。
つまり、イエスは神と同質といえる存在であり、だからこそ罪を赦すことが出来るということを示しています。
また、別の時には2人の盲人が自分たちの苦しみを取り除いて欲しいとイエスに頼みます。
イエスは彼らに
『私に出来ることを信じるのか?』
と尋ねます。続けて2人の目に触れながら
『あなた方の信じている通りになるように』
といいます。
すると、2人は目が見えるようになりました。
⑦ラザロの復活(奇跡その5)
イエスの知人にラザロという知人がいました。イエスはラザロが重症と聞かされて駆けつけましたが、4日前に亡くなり、墓に埋葬されてしまいました。
彼は墓の前に行き、自分の願いを叶えて欲しいて神に祈りを捧げます。
その後、
『ラザロ、出てきなさい!』
と叫びます。
すると、ラザロは生き返り墓から出てきたのでした。
この奇跡を目の当たりにした人々はイエスを信じるようになります。
一方で、イエスを敵視している人々に、更なる憎悪を与えてしまったのも事実です。
その憎悪が、現実のものとしてイエスの身に降りかかるとは、弟子たちはもちろん、多くの群集たちは知るよしもありませんでした。
しかし、イエスだけは理解していました。そしてこれから起こる受難と真正面から向き合うことになるのです!
自作に続きます!